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師走雑感 5        2011-12-22 [思索]

その前にお墓の意味や必要性、そして価値観について私の考え方を述べておきたいと思います。世間のどこかから、お墓は要らない、お金もかかるしお墓参りも煩わしい等々といった話が聞かれます。それらは最近のトレンドとして捉えられ、ニュースとなったりすることもあります。これに同調する人もいるのかもしれません。新しいお墓や埋葬の傾向についても、石を使わないお墓の形が喧伝されてもいます。が、私が思うにお墓の需要全体の中のごく一部なのでしょう。何故なら少数で珍しいレベルでのニュース性を取り上げているのだと思うのです。まだまだ多くの日本人は石のお墓をお墓としてイメージしていると思うのです。

「絆」が、3.11が起きた今年は特に重く感じられたように思うのですが、お墓があるなしで絆の感じ方に違いがあります。思い出の人との対話する場所として、お墓の役割は他と比較し難いものがあります。石のお墓の向こう側に(彼岸)いる思い出の人を想い、語りかける自分の存在を感じる場所として、お墓が最もふさわしいと考えています。伝統的なお盆の行事も故人との絆を彷彿とさせるものがあり、今を生きている自分達を改めて考えたり、見つめたりする機会でもあるのです。それを考えるとお墓は既に商品の域を越えており、精神的に一体化出来る「価値」あるものとして理解し得ると思うのです。そして、そこがいつも清々しい場所でお気に入りお墓の姿形であれば、尚更その価値は高まります。親子・夫婦・兄弟姉妹・友人等々、様々な関わりを強く感じる場所としてお墓があること自体が、今を生きる人々に安心を与えることになると確信しています。

これまでに、日本の各地で津波や地震が町や村に災害をもたらしたケースを見聞きしました。この様な時、関係者達は一致して自分達の生活の場のことと同時にお墓のことを心配しています。このことは、人として自然な心のあり方なのだと思います。ですから、お墓は要らないと思う人がいるとすれば、まだそういう時に出会っていないだけのことで、絶対といっても良い程、お墓の存在が大切だと思う時が来ると思うのです。各種の法事を取り行うことが日本人の生活習慣に染み込んでいる時にお墓がない世界になっていたとすると「絆」を語るのも空疎に響くことでしょう。お墓とは、畢竟(ひっきょう) そういう存在であり、深く生活に係わっていると思うのです。(つづく。。。)


師走雑感 4        2011-12-19 [思索]

墓石」という”商品”と”価格”についてです。

私見ですが、墓石を「ぼせき」と読む時にいわゆる商品としての意味合いを持ち、「はかいし」と読む時、一つの商品の枠を超えようとするかもう超えてしまったかの意味を包含するようになると思えるのです。多分定義はないと思いますが、私達石材商社が取り扱う段階での墓石は商品として、一定の基準をクリアすることが求められています。そしてそれをクリアしたものだけが墓石という商品と認識しています。

その墓石という商品は墓石小売店から消費者、つまりお施主様に販売され、建立される段階でそれまでの単なる商品から商品を超えたものへと変わって行くのだと思うのです。ここにおいては、前述したように一定の基準をクリアした商品という価値とは別にお施主様の思いが込められた特別の価値が吹き込まれた存在としてお墓になり、永代に亘り守られていくのです。まず、以上のことをイメージしていただきたいと思います。その上で、お坊さんが走りまわる師走に、お墓に関することについてお話してみたいと思います。

商品としての墓石が、どこの誰にどのように作られているのかという点です。正確な統計数字はないのでおよそですが、日本では毎年約40万~50万基のお墓が建っているといわれていますが、その90%前後、即ち約40万基前後の墓石が中国で中国人職人によって、機械や人の手で加工製造されています。使用する石材の多くは、中国で産出する花崗岩(みかげ石)ですが、中国以外のインドやヨーロッパ、最近では日本の花崗岩も中国に輸出され加工され墓石となって、日本に輸出されているのです。この物流形態がほぼ定着しており、墓石業界もそれを前提に墓石販売を行なって来ているのです。ところがそこに大きな問題が発生しています。

それは日本にとって重要な供給国の中国の事情で供給の安定が危ぶまれる状態となってしまったのです。ご存知の通り現在の中国は新興国として急速に発展を遂げつつあります。その経過の中で国民の生活レベルも上がると同時に意識も変わり、労働に対する考え方もどんどん変わってきています。

かつて、日本の墓石加工地でさかんに墓石を生産した頃、そしてそれが韓国に一部移転した頃を振り返ってみると、今からおよそ30年か40年前の事ですが、その姿は変わりどんどんと中国へとシフトして行きました。墓石以外の他の商品も中国が世界の工場と言われる程、メイド イン チャイナ となったことはご存知の通りです。その一つ、墓石の中国生産に中国の現状が大きくのしかかって来ているのです。墓石を加工する作業はとても大変です。体力も健康も、収入も、そして環境も重大なチェックポイントとして考えられるようになっています。この問題の解決なくしては永続的な中国の石材業の発展はあり得ないという中国側の声が強く伝わってきます。

中国の石材工場の数は何百とあって、これまでは競って日本側の求めに応じてくれていたのです。それが工場の中には、職人がどんどん辞めてしまい注文通りの加工が出来ないところが出てきたのです。その理由の第一が製品の単価が安いので高騰する労働者の賃金に追いつかず,彼らの不満がどうにもならないと訴えているのです。少ない労働者で物を作ろうとする、更に問題は悪化します。つまり、約束の納期が守れなかったり、品質がおろそかになるなど、あちこちで問題が噴出します。それはこれまではクレームとして対処されて来ましたが、約束通りには応じられなくなっています。買い手側からすると当然少しでも安い価格を要求するのですが、価格・納期・品質を満足するように日中双方が交渉する際の戦術の進め方を誤ると最悪の事態を招く恐れがあります。つまり、買い手側の要求をあくまでも主張し続けて、それが通るか通らないかという究極の結論が得られたのは、これまでの市場環境ではあり得たのですが、今やその力関係は逆転しつつあるというよりも、逆転してしまったと思えるのです。

何よりもの証拠が、中国側から見て要求が満たされないとなると受注を拒む、つまり生産されず、供給が止まるという最悪の事態を考慮しなくてはならないのです。先程説明したように、日本の需要の90%近くを中国に依存している中での主導権は売り手側に移ったと見ざるを得ないわけです。では、このような力関係の中で安定した取引を可能にしていくにはどのようにしたらよいのでしょうか。その事を次に考えてみます。(つづく。。。)


師走雑感 3        2011-12-09 [思索]

11月の末から12月の初めにかけて取引先の中国工場の代表が来日し、我社が運営する『安心石材店の会』の年次総会で最近の中国石材業界の実情についての講演をしてもらいました。

『安心石材店の会』(通称『あんしん石』)とは4年前に発足した全国的な墓石小売店の集団で年々会員数も増える傾向にあり、現在の正副会員に併せて約200社が加盟しています。世間的には墓石小売業の業界がどのような実体なのかについてまだ良くは知られていないのではないか思いますが、最近はマスコミが時々特集を組み、墓石を含めた葬送関連の記事を発信することが目につくようになり、徐々に浸透しているように見えます。

日本の大きな問題として「少子高齢化」が各方面で取り上げられている中で「終活」のことが流行のようで、日常での話題にさえなっています。造語の「終活」は「婚活」「就活」などに加えて人々の関心を呼んでいます。今年は3.11の事故が起きたことで死のことが一層身近として考えることが多かったように思えます。それは、身内や知人、ご近所の人、同郷人、しいては日本人同士の絆を再確認することに繋がるのです。そして、絆は亡くなった人々への想いへとつながっていて、ほぼ同時にお墓という概念が頭に浮かぶというように絆の大切さを感じることの中にお墓の果たす役割は非常に重要なものがあると思うのです。

今年、東北の被災地では今もなお、お墓の修復に追われています。人出が足りなくて作業が中々進まないで困っているところもあるのです。このような時に『あんしん石』の会員の中から県を超えて手伝おうという手が挙がり、応援活動をするなど、目に見えなくとも地道な活動をしています。勿論、今生きて生活をしている人々を守ることが大事であるのは言うまでもありませんが、故人を偲ぶよすがとなる墓所を守ることの意義は、人々の心の中で伝えられてきているのだと思うのです。

私の中では故人との絆を感じることで、今ある自分を眺めることが出来ると考え、お墓があることで安心に生きられるものと信じているのです。それ程に重要なお墓のことを書こうとして、随分回り道をしてしまいましたが、冒頭に書いた中国工場の代表が来て今の中国石材事情を説明したことについて、石材業界にだけ関わるニュースに留まらず、その先の一般消費者にも伝えたい事情があります。(つづく。。。)


師走雑感 2        2011-12-08 [思索]

ところで、11月27日から3泊4日でいわゆる”断食道場”に行って参りました。この時期にこんな事を予定に入れてしまったので忙しいのは当たり前なのですが、前々から関心もあり一度は経験してみたいと思っていて中々実行できずにいたところへ、友人からさそわれて決心した次第です。

そこは温泉地伊豆の別荘地の中にあり、外からは”道場”のイメージはなく普通の旅館の佇まいです。案内書によると、いくつかのコースにわかれていて、初心者用と本格派と中間的なのがあり、私達は中間的コースを選択しました。1週間が本来の日程でしたが、4日に短縮しています。

初日は午後からのスタートで、その日の昼食、朝食は普通食で良いというのが書かれていたのを見て、軽く考えて肩の力も取れてすうっと流れに入れたのです。初めに面談やら一応の身体テストを受け、コース内容の説明を聞いた上で、体重は2~3kg減るという託宣があり、たった4日でそれだけ減るなら見事なものと半信半疑とはいえ一応期待して始まりました。

主要なポイントを挙げますと、食事は午前10時と夕方6時の2回。早朝と夜にヨガ体操、気功体操、散歩、そして各種全身マッサージ、温泉入浴は自由、夜は10時消灯。

私達の取ったコースの食事は生野菜サラダがメインディッシュでこれをしっかり噛んで食べ、何とか満腹感を得なくてはなりません。初日は、通常の朝食、昼の牡蠣フライライスの外食が腹に入っており、興味本位で食べ終わりましたが、2日、3日の朝食まで来ると、さすがに空腹感に襲われ、とてもたまりません。何をするにも力が入りません。滞在中この時とばかり、家で読もうとして積ん読のままであった分厚い近代史の書物をもって行ったものの、唯の一頁も読む気が起きず持ち帰りとなってしまう程でした。

明日解放されるという前の晩と当日の朝食には、わずかながら形のある食材による皿がいくつか並び、更に味噌汁の椀までついているという風に常食に戻す配慮がされているとのことで、それにありついた時はほっとし、嬉しさみたいな気持ちが込み上げて来たものでした。

そんな時、隣りの卓とはつい立てで仕切られており、互いに見ないようにしているものの、ちらっと見えてしまうのですが断食コースの2人が座って食事をしています。メニューはカップが一つ、何やらスープのようなものが出ています。これが夕食の全てらしく、飲み終わると静かに出て行きました。

そんなわけで私達だけがごちそうを食べている気分になったのです。本気でかかれば、自宅でメニューに沿って減量も出来そうで、何もわざわざ高いお金を払ってまで何も食べない旅行をすることはなかろうと自らも思うこともあり、これを話したかかりつけの医者先生からも一笑にふされたというのも事実なのです。

しかし、それはあくまでも理論上のことであの環境を自ら是として入り込むことによってのみ達し得る行動で、その他の状況下では絶対に不可能なことと確信します。何故なら、過去の禁煙の誓いの時と同じく食べたいおいしい食事の制限を何回も決心しては破って来たことを思えばであります。

ともあれ、最後の身体測定の結果は3Kg減量が出来、一緒の友人は4Kgも減った事実は何にも代えがたい成果として一応の収穫で終了出来ました。問題はその後の娑婆での食生活の自己管理がどの程度できるのかでして、本日までのところ気持ちはともかく、体は日に日に好きな物が食べたいという欲求が強まっているのを感じています。(つづく。。。)


師走雑感 1         2011-12-07 [思索]

今年もとうとう12月になりました。どうしてか、このところばかに忙しい日々を送っている気がします。全くそれが個人的なことなのか、それともそれ以外の人間の場合はどうなのか考えたりもするのですが、まとまりません。

偶々、先日同い年(73才)の友人と電話で話していましたら、彼と同年代の友人が今年3人も亡くなったというのです。更に聞けば、その中の2人は何と私の友人でした。中学1年生の時の同級生です。改めて人生のはかなさを感じ、彼ともしみじみ自分達の今、及びこれからの生き方についてもう少し考えてみよう等と話し合ったのです。同時に思ったのは、自分達がもし突然、死に直面する事態となった時、このままで問題はないのだろうかという根本的な事です。理屈ではそれなりの準備をすべきと思い、日頃書物で終活について調べたりするのですが、現実には行動が伴っていません。いつ、どこで、何が起きるかわからないと思えば、しっかりしなくてはならないのですが、なかなか私はそうはいきません。心のどこかで、”それはまだ先のことで、いずれそうするつもりだ”などと思ったりして時間はどんどん経過していきます。実は毎日本当に忙しいのです。まわりの人はそれが歳をとらない秘訣だから無理に隠居する必要はないと励ましてくれますが、それとは裏腹に世に言う老害を振りまいてはいないかも気にしなくてはならないと自戒するのです。

何はともあれ今月、来月とスケジュールはびっしりで、まだまだ休めません。(つづく。。。)


カジノ余談        2011-10-28 [趣味]

最近、テレビや週刊誌でニュースとして伝えられ、しかもスキャンダラスな話題にもなっている一件で、私のみならず一般の人の興味をひいているのが、大手製紙会社の前会長への80億とも100億ともいわれる巨額の融資金の問題です。事件性があるのかどうかは私にはわかりませんが、お金の使われ方が明確ではないものの、その多くがマカオ・ラスベガスのカジノで使われたというのでそれだけの大金を一体どんな使い方をしたのだろうかと、ひとしお関心が高まりました。ここ数日、私はカジノ体験の話を書いて来たことでもあり、この話題に関連して私がふと考えたことを書いてみようと思います。

まず、私のカジノの規模と本件のそれとは、まるで次元が違うということです。例えて言うならば、蟻同士の戦いと象同士の戦いの様なもので、比べものになりませんが、仮に噂の通りカジノで使ったものとして勝手に想像すれば、考えられるのはVIPルームでのバカラゲームです。もしかしたら、ポーカーかも知れません。私はポーカーはやりませんから、どうしてもバカラが頭に浮かんでしまいます。これまで私は何かの手違いで巨額のチップを賭けているバカラゲームの場面を目撃したことがあります。テーブルの上にはざっと見ても数千万円という額に相当するチップ(板の時もあります。)があって、臆する様子も見せず、平気にベットしています。最少チップを置いている場面でさえ、何と500万円相当のチップなのです。こんなゲームをやる人間は一体どんな職業の人間なのだろうか等と意味のない思いで見守ったりしたことがあります。この様なゲームの結果について後になってささやかれるのは億単位の勝ち負けの数字なのです。そして、この様なゲームは1晩だけでなく何日か行われ、その振幅の度合いが大きくなっていくのでしょう。そんな事を思い出しながら、今回の話題も数億円はおろか数十億円のやりとりがないことはないと思ったりします。 ギャンブルは数百円、数千円単位でゲームをする人、数万円、数十万円単位、数百万、数千万単位、数億円単位でゲームをする人と色々あるようですが、ゲームの基本は同じで取ったり取られたりの世界の中でそれぞれのレベルでの戦いぶりによって、結果が出るのでいずれであっても熱くなり、ど壺にはまって抜け出せない状態での判断は、私の体験から言えるのは、いつもいつも負けを取り返したいという思いが強烈に込み上げて来て、次は必ず勝てると信じるしかなく、負けるなどとはこれ程も思えない状態の連続でなされます。こうなると持てる資金の全てどころか、借りてまでつぎこむというケースがあるのです。無限の資金があるのであれば、最後に勝てる場面も理論上あり得ますが、リミットがベットにあったりもするので現実的でないのは明らかで、大概は大負けのまま終わるのです。だから、カジノハウスは繁盛するのだというのが定説です。

こんな大金をどうやって持ち込んだのだろうという憶測もなされていますが、それよりも何よりも金銭感覚を麻痺させることがカジノ側の狙いである以上、これにどう対抗するのかというのは馬鹿馬鹿しいほど簡単な理屈で言うと、(1)まずカジノには近づかない。(2)カジノで遊ぶ予算を決めて、レストランやシアターでの楽しみの代償と同じと考える。(3)チップの額をいつも実生活で使う現金としてとらえる(4)偶然勝ってしまったらその時点で思い切りよく止める。こんな風に考えるのは凡人だからなのでしょう。私としては凡人でよかったとしみじみ思っています。 巨額を賭ける人の背景には私の想像を超える事情もあるのかもしれませんが、私のやるカジノゲームとは別次元の出来事として見る他ありません。(おわり)


マカオでバカラ5連勝 そして6連勝達成 3    2011-10-27 [趣味]

ロ)10月18.19日の戦い

5連勝達成の偉業(?)は私に更なるチャレンジ精神を呼びさまし、6連勝を強く意識することとなりました。本気で挑戦すべく、この日に臨んだのでした。この度は幸運にも私の周囲に最初から最後までハイローラーは見当たらず、気持ちも穏やかにゲームを出来たのでした。この時の穏やかな気分は更なる効果につながったのです。それはゲームにおいて重要なる注意事項の一つに、熱くなってはいけないという一項で徹頭徹尾、冷静沈着に振舞う事が出来たのです。そうなるとPに来るか来ないかの判断が高い確率で的中することが多く毎回毎回自信を持って対峙できたのです。

その具体的な例を一つだけ述べますと、仮にPを連想してチップを置いてそれが負けた場合、決して熱くならず冷静に、今回来ると思ったのは一回だけ早すぎたに過ぎず、正しくはこの次に来るに違いないと考えおもむろに今負けたチップを上回る額のチップを置くことにしたところ、それが見事当たり、前の負けを取り戻しただけでなく、更なる勝ちを増やすことになったのです。このやり方でやり続けた結果、出来過ぎと思える位的中して6連勝が実現できました。それも夜の早い時間に達成出来てしまい、例のごとく部屋でゆっくり眠れたのです。

こういう展開を聞いて他人は自分と一緒に喜んではくれまいと思うとじっと自分の中にしまっておくべきなのですが、余りの嬉しさにここまで調子に乗って書いてしまいました。念の為に書き添えますと翌日午後一時過ぎのフライトまでの限られた数時間を、今回のつきに乗って勝ちの上乗せをしようという誘惑をぐっとこらえて、何もせず時間の経過を待ったことが間違いなく今回の勝ちを確定した理由に他なりません。バカラゲームは負けだすとアッという間に多くのものを失います。いとも簡単に勝から負けに入ってしまい、そこから抜けだそうと熱くなると泥沼に入り込むことは必定です。何もしなければ負けることはないという真理を体得出来たのは、まさに悟りの境地に到達したと自分で言い聞かせるのです。

一方で別の疑問も起きます。時間があるのにゲームをしないとは、一体何しにマカオへ行くのだという素朴な疑問です。過去、或る時期に私はこの疑問に自問自答して、いかなる結果をも受け入れて来ました。つまり、カジノに来たからにはとことんゲームにこだわりゲームを楽しむのだ、勝ち負けはその時々の結果にすぎないという解釈に酔っていたのです。特に負けが混んだ時には尚更その思いを強くしていたのです。今の瞬間はゲームは楽しい、勝ったゲームはもっと楽しいと思っています。誠に勝手としか言いようがありません。(おわり)


マカオでバカラ5連勝 そして6連勝達成 2    2011-10-26 [趣味]

そういうわけで、あとはしばらく私と仲間のY氏と2人でバカラゲームを楽しんでいたところへ、私の隣りの席へさっきとは別の中国人の客がつき、ゲームに参加して来ました。見ると手元には既に巨額のチップを積み上げています。どんな打ち方をするのかと気になって彼のやり方を観察しつつ、例によって私はPにちまちまと置きます。一方彼はドカンドカンと大きくはっていきます。彼も私も取ったり取られたりと繰り返していく中に、彼の方に来るケースが多く彼の前はチップの山が大きく積もる一方で、私はかなり圧倒させられました。次第に彼は自信を強く持ち始めた様で、負けた時も動揺もないように見え、次の回で必ず取り戻すという具合に彼のペースでゲームは流れて行きます。こんな時、通常は周囲のゲーマーはついている彼に乗っていくものですが、私は私なりのやり方をかたくなに守りPの一点ばりです。ところが、ところがの話をこれからしますと私が好きなPが3回続いた時、私の頭をかすめたのはPの4回目は絶対ないだろうという確信めいた暗示でした。そこで私は見(ケン)を決め込んだのです。彼は迷わずにPに置きます。さすがにチップの量はやや減らしています。同じく私の右隣りのY氏は先ほどからついている件の中国人に乗ったままPに置いています。結果はBでなくPと4回目が来ました。私の判断はPは来ないという確信はゆるぎません。したがって又、ケンです。両隣りの2人はセオリー通りPに置きます。Pは5回連続で来ることになり、私は金縛りにあったように動けません。実を言いますとこの辺で思い直してPにおいてみるべきか思い始めていたのですが、もう少しケンを続けようとそのままじっとしていました。

ゲームは6回目もPです。表示板の縦枠は連続6枠が1行で、めったに6回の連続はないと言われていますが、前にも書いたようにこんな時は目が変わるまで置きつづけよというのがセオリーなのです。この次にPが来る時は右へPの印がついて、アルファベットの”L”の型を作り始め、Lのパターンと良くも悪くも面白いゲーム展開なのです。私の迷いは別の点に移り始めたのでした。それは、ここまでずっとケンをしていた私が今更のようにPに置いてしまうと、それがきっかけでPの場は終わってしまいはしないか、そうしたら「お前が置くから目がかわったのだ!」などと思われるかもしれないので、そのままケンを続けるのが順当な判断かと自分に言い聞かせて、成り行きを見守っていくしかありませんでした。隣りでY氏はPにしか置かない私を知っていて何故こんなチャンスを見逃すのだと本気で私に参加を推めるのでしたが、私の心の中の気持ちを伝えられず、じっとこらえていたのですが、何と何とPは13回まで出続け14回目でBに変わったのでした。当然私のチップはPの3回目までのままでしたが、両隣りの2人は相当に勝って勝ちまくったというわけです。私はそこから先、ゲームを続ける気になれず、そのテーブルを離れました。

その後は別のテーブルで私のペースを取り戻し、ゆっくりゆっくりと勝のチップを増やし続け目的の勝利の額をはるかに突破して、早々と部屋に戻ることが出来たのは私にとって極めて満足の行くことでした。この日の嵐のようなゲーム体験は、ハイローラー(大ばりのギャンブラー)と同席をすると私自身培ってきたゲーム感覚に影響を及ぼすことになり、そういったケースは極力避けていきたいという大事な教訓でした。

 <蛇足>翌日Y氏に昨日の後のあの大勝ちの中国人某氏とY氏の戦果について聞いたところ、夜半頃までに2人共勝ち分は全部吐き出したという事を聞いて、変に納得したのです。つまり、勝ちの場面がずっと続くことは有り得ないというセオリーを思い出したのです。(つづく。。。)


マカオでバカラ5連勝 そして6連勝達成    2011-10-25 [趣味]

前回予告した通り、10月5.6日の1泊2日にてマカオに行きました。初日は昼過ぎに到着、2日目夜の8時の出発という滞在時間は私にとって理想に近いものであります。ねらい通りの5連勝という成果は通常はあり得ないことで、多分これを聞いた人は本気にしないかもしれません。しかしこれは事実で、なぜそれが出来たのかは追々説明するつもりですが、これまでの戦いぶりを読んでいただいた方は何となく理解してもらえると思うのです。カジノ必勝の法則はないのですから、この結果を残せたことで私なりに毎回の戦いを不敗で終えるのは可能だと思い上がった自信がついてしまったのです。その証拠に今月、18日、19日と出向いた時の結果が6連勝を実現できました。今回の話はこれら二つの戦いで私が実際に体験した忘れられない出来事について書いてみたいと思います。

イ)10月5.6日の戦いで

或るバカラテーブルについてゲームをしていますと、隣りに中国人の男性が来て座りゲームに参加しました。彼が賭けるチップの量は私のそれに比べおよそ10倍と高額で私としてはとても気になります。彼も私も同じP(プレイヤー)に置きます。勝負結果はPで彼は大勝利、無論私も勝ちは勝ちですがそこそこの勝ちです。次も彼は再びPに同じ高額のチップを置きます。私も、ちまちまとPですが結果は続いてPが来て、隣りの彼の収穫は大きく、私のは知れたものです。さて問題は次の予想です。私はいつものようにもう一度、つまり3回目Pが来ると信じPに置きます。すると隣りの彼は最初置いたチップは2勝で3倍になっているのですが、何と今度はBに置き換えオールインです。こういう時、大バリをする人の向こうをはって反対側に小さく置くのは気が引けます。したがって私としてはBに付き合うわけにもいかず、Pを続けるのもはばかれて見(ケン)をすることにして様子を見ることにしました。隣りの彼のチップは巨額です。複雑な気持ちで見守る中、結果はPで彼は全て失いました。ほんの一瞬にして日常生活での貨幣価値からすれば、日本の普通のサラリーマンの月給の3ケ月分相当と思える金額がすい取られたことになります。彼はそこでサッとたちあがって、どこかへ消えました。

話はまだ続きます。(つづく。。。)


マカオで4連勝      2011-09-28 [趣味]

マカオタイパブリッジの夜景 - 写真素材
マカオタイパブリッジの夜景              
               (c) マンジロー写真素材 PIXTA


翌日のフライトは夕方の5時20分発でしたので
ゲームの時間は十分あるにはあります。
が、そこはいつもの様に11時頃にブランチを取り、
その後、ゲーム会場を覗くというスケジュールです。
昨夜は思いの外勝ってしまったので、もうこのままやらないで
4連勝を決めてしまおうかと意を決していたつもりですが
何とはなしに昨夜のY氏の戦果について聞いてみると
朝方までやり続けたらしく、まだ寝たりなくて部屋におりました。
結果は聞いて少々驚く位の大負けだったようでした。
私はそれを聞いて、
Y氏の負けが予想以上の負けであったことに衝撃を受けたかどうか
わかりませんが、
私の戦法は冒頭に書いた(A)のやり方になっていました。
どうしたわけか昨夜に続いて負けません。
増えたチップを前に置いて戦っているところに
Y氏が眠そうな目をこすりこすりやって来て、
私のチップは勝ちチップだから縁起がいいとばかりに
ちょっと貸してくれというのです。
勿論私は気持ちよくチップを手渡したところ、
彼はそのままバンカーに置きます。
私はといえば、相変わらずプレイヤーオンリーでしたので
結局は彼との勝負になります。

結果は見事にバンカーで彼の勝ちです。
彼は私に借りたチップをその場で返し、勝った分を再びバンカーにはっています。
私は相変わらずプレイヤーで、次もまたバンカーが来て私の負けです。
何とも不思議な事ですが、私は見る見る勝ちを減らし、
Y氏は見る見る勝ちを増やしています。
私はさすがにこのままでは4連勝が出来なくなると
勝ちを半分程減らしたところで正気に戻りゲームを止めたのです。
そのままじっと堪えてホテルを出発する時間まで
見(けん)を続けられました。
一方、Y氏はそのまま勝ち続け、昨晩の大負けの半分以上戻していました。
3人一緒にアモイ便に乗る予定でしたので
さぁ席を立ちましょうと促した時のY氏は明らかに迷いがあり、
このまま続ければ、残りの負けを取り戻せると思い
帰りを一日延ばしたい等と言い出したのです。
私とK氏は2人でその考えは捨てた方が良い、必ず再び負けを増やすことになるぞと
強く説得し、ようやくY氏も正気をとり戻し、
一緒に帰ることになりました。
人事乍ら、この判断は正しかったと確信しています。
自分の事となるとこれと同じ判断したかどうか自信はありませんが。(おわり)