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減量 2012-01-30 [健康]

昨年11月に体験した「断食道場」に、今度は妻と二人で12月31日から正月5日までの5泊6日の長期(?)滞在に挑みました。 前回の友人と3泊4日の試みで概ね実情を理解していましたから、2回目の今回は大晦日、元日と通常なら一年の大イベントの時節であることと、初めて体験する妻のことを考慮して、コースは2段目にゆるやかな「半減食」を申し込みました。文字通り、内容は少なめの野菜と六穀米をほんのちょっぴりを例の通り朝10時夕方6時の2回に食し、1日のカロリーは400~500カロリーとのことでした。前回は報告したように私の体重は3Kg減り、その後そのままキープしておりましたので、道場の先生には優秀とほめられ今回も頑張ろうなどと殊勝にも思い込んだのです。 結果を先に申しますと、私はさらに2Kg、妻は3Kg減量できたことになります。これでよかったのか、本当のところよくわかりません。というのは、修行中(?)は間食もせず、あまり運動もせず、ただ時間の過ぎるのを待ち続けるのです。そして、読もうと持ち込んだ書物も手に取るだけで、すぐに投げ出す始末です。テレビを付ければ年末年始のあのいつものにぎやかな番組が映ります。美味しそうなおせち料理も脳裏に浮かんでは消えます。 私たちの部屋は2階にあり、温泉治療室は地階にあり、エレベーターはなく階段を自分の脚で昇り降りするのですが、始めは何も感じませんでしたが4日目頃からとてもしんどくなり、終わりには何ともじっと立っていられない程ふらふらして、本当におっくうになってしまいました。私だけがそうなのかと妻に聞くと、妻も同様楽でないと言っています。確かに目方は減ったのですが、肝心のお腹の周りの脂肪は前と同じしっかりくっついたままです。後日行きつけの医師から年を取って絶食する場合、大概はたまった脂肪が減るよりも筋肉が溶けるのだという話を聞き、憮然としてしまいました。運動を続け、筋肉を鍛えながら、たまった脂肪を燃やすというエクササイズが出来ない年寄りは無理な減量は毒なのだと何となく理解して、ある程度のカロリーを摂取しながら、しかも量は7分目8分目とするよう心掛けるべしとしばらくは様子を見ようと思っています。私にとって、目が食べたくなり、食欲も若い者に負けぬ程あり、これを我慢するのは至難のことではあるのです。元気に生き、人生を楽しみ続けるためにも気をひきしめねばと言い聞かせている今日この頃です。
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健康の幸せ [健康]

こんにちは。
小学生の時の担任のおばあちゃん先生の言葉が今も耳から離れません。
『体は第一の資本。病気になるな。』


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イメージ写真 PIXTA

私の若い時のいろいろな運動経験が当然の様に私の体を強靭にしてくれたのです。
その後、独立して会社を興してから20年間位まで、私の肉体は強靭のまま保持されていました。お金ではない体力が貯金されていました。
年齢で言えば、57,8才位です。
余談ですが、先日の朝のテレビでロシアの
プーチン首相が56才で上半身はだかで水泳をしている画像をみました。そのコメントで彼のたくましい体つきが年齢を感じさせず、まだまだ政治的な力を温存させているのだろうというものでした。
ですから私もその頃までは体力には自信があったのです。
ところが、ある時、突然、背に激痛が走るようになり、どんどん体重が減り始めたのです。あちこち医者に見てもらっても原因不明で治療方法がありません。針を打ったりしてもよくなりません。
そんな或る日、地元の銀行の集まりに顔を出した時、隣の席にいた、Uさんから、今も空手をやっているとの話がありました。その時私は、是非習いたいと申し入れたのです。Uさんは早速師範に連絡をしてくれて,入門の許可をもらいました。
                                                             
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道場は近所の中学校の体育館を借りての練習でしたが、私はやる気でした。
体育館は空調がなく、暑い夏、寒い冬の練習は結構つらいものがありました。それでも練習を続けるうちに、いつの間にか背の痛みがうそのように消えてしまったのです。
正に60の手習いで、家族や周りの人々は、すぐにやめるだろう位に見ていたと思います。
ところが、信じられないかもしれませんが、修行の効あって、晴れて初段の免状を頂いたのです。  


薬師如来像:PIXTA




                                                                       
50代から60代に移行する頃、私におきたこの重大な体調の変化の原因は、実は私自身にあったのです。体力をついつい過信していた事による私自身の無謀な振る舞いが祟ったというしかありません。
友人達とラスベガスへ旅した折りに例によって、カジノにすっぽりはまってしまい、徹夜で戦いを続けてしまいました。後に、これが原因とはっきりと納得したのですが、カジノの中は冷房がしっかり効いていたのが全身に影響を及ぼしたのでした。背、肩を始め、手の先まですっかり冷えきっていました。しかし、旅行中は普通に行動出来たので、その時は何も感じませんでした。帰国していつの間にか肩の痛みが始まったので、ラスベガスでの一件とは全くと言って良い程、結びつかなかったのでした。その時、この痛みは加齢による体力の衰えからかと弱気でした。その痛みは深刻なまでに大きくなり、買薬ではどうにもならなくなり、先に書いた通り病院通いを始めたのですが、どこの病院でも原因は不明と、適切な治療方法がなく諦めかけていました。

そんな時に空手と出会ったのです。今では、あの激しい痛みは全く消え去り、体は元に戻っています。医者でない私が言うのも何ですが、完治した理由は空手の練習で体全体を動かし、適切に筋肉を使い体力をつける中に、体中で血流が活発化したことにあると思います。この血流が体の筋肉のすみずみまで行き渡ったことが、私の体の危機を救ってくれたと信じています。

空手が特効薬と言う事ではなく、重要なことは、「いくつになっても体の調子を取り戻す為に、体を動かして全身の血流を良くする事が大事ではないか。」と言う事です。更に、欲を言えば、足腰の筋肉が鍛えられるような運動を少しでも取り入れるともっと良いという事でしょう。私はこれからもその方針でやって行くつもりです。

今更のように健康の幸せを味わっています。
これに勝るものはありません。(おわり)  
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ダイアナ:ブロンズ像
            

少年時代の運動経験 [健康]

こんにちは。
今の私の健康に欠かせないのは、店に運動器具が売られてもいず、買えもしなかった時代に、自分の体をつかって遊んだ頃の事です。

終戦直後の小学生の頃の私の得意な運動種目に、
まず人間馬跳びがあります。
これは友人がひざに手をつけ、前かがみになった所を跳び馬の様に飛び越えます。
その馬の数を増やし乍ら、飛び越えるのですが、いつも私が人馬数最多をほこっていたのです。
ジャンプ力とバランス感覚が必要でした。
次に、思い出すのはこれも遊びスポーツのS(字戦)でした。
これは地面に大きなSの字を書いて、2つに分かれ、Sの丸い部分から外へ片足でぴょんぴょん出て行き、やはり片足の相手方ともう一方の足を使い乍ら戦い、両足をついた方が負けという遊びです。
これも私は最後まで勝ち残ったのです。
中学に入ると部活が有り、陸上部に入り、訓練を受けましたが、自慢できる記録はありませんでした。その頃すでに、球技や走りは自分に向いていないと思うようになっていました。
2年生から転校して、喜多方に移りました。そこでは、体操部に入り、どういうわけか好きになり、かなり真剣に練習に励みました。
マット、吊り輪、鉄棒等一通りやりました。
高校になると、柔道部に入り、体操で鍛えた足腰を生かして、なかなか負けませんでした。練習の効あって、将来を嘱望される程まで腕をみがきました。しかし、段取試験に間に合わず、帯は茶色どまりでした。
また、2年生から東京へ転校することになり、そこで再び柔道部へ入部したのですが、ここでは苦い経験があるのです。
喜多方高校で、そこそこのところまで強くなっていたのに加え、転校先が進学校でもあった為、選手層も浅く、入部してすぐに選手に指名され、対抗試合に出る事になりました。相手は明大付属高校の体の大きな、いかにも強そうな黒帯です。
ものの見事に大外がりを受け、したたかに頭を床に打ち付けられたまま、失神してしまいました。脳震盪を起こしたのです。


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写真素材PIXTA

その次の大会に出場した時も、おはずかしながら、寝技に持ち込まれて、おくりえり首しめを受け、これもあっと言う間に失神してしまいました。
大学ではさすがに運動部に入るわけにはいかず、選択科目でフェンシングを選びました。
この辺りまで来ると、興味の本命はスポーツから離れていってしまった為、熱を入れて授業を受けた記憶はありません。わずかに、エペ・フルーレ、セイバーの名前が記憶に残ります。
就職してからは、自動車部の設立に加わり、そこそこの活動をしたのですが、これも失敗談があるのです。
参加したラリーの競技の途中、房総の田舎の砂利の坂道で運転を誤り、2M下の田んぼに車ごと、転げ落ちてしまったのです。
当時の大きく重たい手動タイガー計算機が車の中で頭にぶつかって来て、痛い思いをしました。
幸い生命は無事でした。
 
以上書いて来た通り、私は20才の前半位まで思い切り体を動かして、体を作って来たのだと思います。
(つづく。。。)

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  写真:タイガー手廻計算機博物館




私が今も元気な訳 [健康]

こんにちは。

関東地方は今日も暑い日になりました。
昨日より健康の話をして来ました。
爺むさいという言葉を近頃あまり聞きませんが、
変わって、加齢臭などという怖い言葉が時々使われます。
こんな事を気にするようではいけませんね。

2.高齢者について

辞書によると、高齢者とは通常65才以上の人について言われる言葉で更に、65才から74才までを前期高齢者とし、75才以上を後期高齢者と分けるとなっています。
この呼び方が高齢者社会となった我が国では保険制度に関わって、差別であると問題になっています。
差別と言えば、70才以上の高齢者の自動車運転免許証を取得した後、「もみじ」マークをつけて通行しなくてはならぬと規制がありますが、そのマークがもみじには見えず、
「枯れ葉」マークとしか見えぬと問題となり、
デザインを変えようとの話もあったそうです。
しかし、デザイン以外の理由もあって、
結局今年から強制はなくなりました。

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いわゆる高齢者の数が増えつづける今の日本において、
高齢者だからどうという考え方には無理が生じています。
私もとっくに高齢者に分類されていますが、
それはそれとして、今更若返ることは出来ませんから、
若い人に伍して、活動できる体力、気力を持っているつもりと
自信があります。
そこで、その自信の体力と気力はどの様に培って来たかについて書いてみます。
元気を保つには、精神面と肉体面の要素から見る事ができます。
わかり易く肉体的な面の話をしますと・・・
と言っても私の話ですからそれ程大したことではありませんが、本気にいつまでも元気を保ちたいと思っている人は、
最後まで読み進んで下さい。
何か思いあたることもあろうかと存じます。
先ず、体力は身体を鍛えなければ身に付かないのは明らかで、
私がどうして今も体力を保って来れたかを見るともっと良く分かります。
実は、私は子供の頃から大変なスポーツ少年だったのです。
この次から、私の若き日の運動の歴史です。(つづく。。。)





健康談義 [健康]

こんんちは。

私は、この8月で満71才になります。
少し立ち止まって、健康や体力・気力など、いろいろ考えて
みたいと思います。

1)年をとることについて

私がずうっと若かった頃、自分で自分が年寄りだと
本気で言うようになるのだろうかと、
周りの老人達を見た時に考えたことがあった覚えがあります。

年々、年をとることが老化しているという実感がないまま、
いつの間にか、この年になってしまいました。
それでも、年をとる事に関して言えば、自分が未知の世界に入るとの思いが一瞬頭の中をよぎることがありました。

それは50才代から60才代になる時や、
60才代から70才代になるような、いわゆる節目に当る時などです。
その時の思いは個人差があるとは思いますが、
私は還暦祝とか古希の祝をしてもらう時に抱く思いとは
違うように思います。

還暦とか古希というのは、
社会生活上行われて来た長寿を祝う習わし行事であり、
当人一人が長寿の思いにふけるわけにも行かない所があるのです。


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              写真素材PIXTA

眺望がきく所に立って見える景色です。

ところが、中年を過ぎ、ある年代が終わって新たな次の年代に入る時は年代が移行する少し前の当りから人知れず緊張が続きました。
これは単に自分が年をとってしまったとか、
老化が進んでしまったという事ではなく、
これから先、生き続ける人生において想像もしないような事、
或は未経験の事柄が自分や自分の周囲に襲ってくるかもしれないという
思いなのです。

その前までは誰もがやって来れた事で、経験則の範囲として
対応できたのですが、
年を重ねるに従って、未知の世界に踏み込んでしまったという
不思議な気持ちなのです。(つづく。。。)

写真素材PIXTA

橋のずっと向こうまで路は続いています。